稲荷堂の日記

2021年06月12日 19:18

稲荷堂の日記

出会いと別れ。人は皆出会いと別れを経験します。ひとが神の子である以上それは必要な神から授けられた教育と言えるでしょう。そこにはトラブルがあり涙があり修羅場があったと思います。それは運命づけられた自らの道であり、鮮度が積み重ねてきた 罪の重さの報いであるともいえます。カトリックや仏教は先祖や自らがおかしくきた罪の重さを悔い改めることを説いています。果たしてそれで良いのでしょうか?今私たちは生きています。それは神に命をいただいているそれ故私たちは神の子であり。全く皆が同等の条件で生まれてきた病のない絶対神の子供なのです。神の実態が光であったり、人間とおんなじ形をした絶対神であると言う場合があったり。今まで私たちがどう変わってきたでしょうか?宗教に携わったり年齢を積み重ねたり? 1日でも先祖を省みたり修行にそして一時期の感動ではなくそして一生の感動を得たことがあるでしょうか。この話で自らを主張する事は無意味です。私たちは赤ん坊にならなくてはいけません。よちよちながらも赤ん坊は前だけ進みます。私たちももう一度素直な気持ちで目的に向かって前に進むべきであります。その意味において古来から日本人が言う言葉赤い心 赤心と言うのは 神の前では私たちは神の子である以上赤ん坊であるのです 

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