稲荷堂の日記

2022年01月30日 12:54

稲荷堂の日記

今日は雑念を祓うために滝打ちに行きました。滝に入る時に九字を切る人もおられますが、もともと卑しいものが入れば同じです。ただし、滝の周りは餓鬼、畜生、誘いの邪霊がいっぱい滝自体には神はいないから、弱って滝から出たら、ヨイショって肩に乗ってきます。初詣の帰り道どころではありません。熊野の滝で霊写真をいただいた時にすぐにわかりました、にわか山伏は餓鬼の餌、必ず修行が終わると修了証を床の間に法螺貝と一緒に飾り、説教してる物笑い。なのに金持ちにならない、しあわせにならない、生意気になり地域に笑われるひとが多いのはなぜか?それは私利私欲 一言に尽きます。タマミガキはどこでもできるのです。ただし約束を破るは神は二度まで言わない こんじんさまは二度まで言わない。だから奉仕、善行、とくに自分さえ良ければと言う方ははじめから来ないでください。いのりあわせは、ご祈願の協同組合です。祈りの生協です。もう一度再認識してください。節分は踏み絵なり、こんじんさまに神向きするか否かは、誰も炒り豆をぶつけるヒトを助けるか?われらの信ずる神は唯一のたたりがみなり。鬼なればこそ、この節分を我がものとして、いのりあわせをたかめん

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