稲荷堂の日記

2021年12月19日 10:50

稲荷堂の日記

用 よう とは大切。用を果たさぬものは神にも使われず、報われない。天理教にはひのきしんという言葉がある 金光教はあいよかけよ で神とのつながりをいう 稲荷堂はいかに ともにいのり いのりあわせを体感して神の存在を信じるものよ 仏教には得度 出家あり。知恵の輪のごとき因縁のもつれを かつて存在した講 こう のごとくに ともにいのりあわせるグループ それが講なり。たたりがみ こんじんさまをかこみながらむかしは神の作りし神の子のつどいの集まりでありましな。いま復活した講は稲荷堂なり、日に日に祈り手は増えている。涙を克服したものもおれば、いつわりありて地獄に落ちたものあり、稲荷堂は最期の処方箋なり、稲荷堂の後ろには助ける綱はなし

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