昨晩夢を見ました。私の母方の祖父は祈祷師でありました。といっても私の記憶に残っているのは化膿した足とか傷ついた足とかお腹が痛い時とか手書きの呪符を使って体を治す事でした。子供ながらに不思議だなぁと思ったことが思い出されます。大学時代に学生寮の裏にありました鹿島神社系の神社で神職補助のお手伝いをいたしました。権禰宜のお兄様は神社本庁に勤められている方でその当時大変お世話になりました。岡山県でも神様のお手伝いができればと思ったこともございましたが家柄だとか、神社の家の息子でなければいけないとか、最近は通信教育で神主になる方が多いみたいですが、ビジネスとして捉えられている方も多いように思います。まじめさや求めている道が違うからこそ新興宗教の入り込む余地が太平洋戦争以後増えてきたのだと思います。価値観の多様化は大事なことですが、精神文化と伝統文化を守り育てる事は神様に携わる者の最低限のモラルであり、近代文明の中で悩み迷いの道から救いだすのも宗教者としての使命であると思います。毎日毎日ニュースを見るにつけ、葬式仏教と結婚式神社の偽物牧師のキリスト教会の退廃的な日本文化を見ると情けななくなる次第です。その意味から稲荷堂はお助け、助け合いを根底に活動をしております。そもそもどの宗教も助け合いからスタートしたのではないでしょうか。