稲荷堂の日記

2024年09月16日 12:05

稲荷堂の日記

本日は十六日祭りとなります 昼間の自分の影を考えてみた時、昼間の世界の明かりはあればあるほど自分の影ははっきりする 陰は太陽 陽が輝けばはっきりしてくる。陽の願いは昼間にするもの 対して夜は黄泉なり、冥土なり、月光は陰光 まわりはすべて影 ここにいのるは暗の祈祷なり、月は引力をつかさどり、水のちからを持つ うしとらのこんじんは北東の神なり、大食天命となり、毘沙門天ともなり、断つちからを持つ、命を断つ 赤子の臍を切りいのちをつなげるもこんじんなり、稲荷堂は東北に鎮座する絶対神をいのる たたりがみである。だからのろいがえしがあります。だから、みんなのいのりあわせが道として開かれた。これは神輿担ぎをする分教会長さま各位にはご理解いただきたい。のろいがけを肯定して、のろいがえしを肯定します。日々の祈りの神の子はわれよし われさき ではなく。われ も よし、 われも さき。神社寺院にはない 神さまとの縁 親子なれば、いのりあわせの神組み手はちょっとちがう道を知るものよ 今宵も ひびけよ 四拍手 拝  午後11時に東北に向けて四拍手拝 月を見つめて 水想観 黙想もよし、手先の印はなんでもいいから、こんじんさまとの神想観は神が体に入る 入り込む 作法となります

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